MacもWindowsもどちらも使えるパソコン修理マニアのJunyaです。
さて、今回はAppleについてチョットコアなお話をしましょう。
その中で今回はスティーブ・ジョブズがAppleを出て行って戻ってくるまでのお話です。
1983年スティーブ・ジョブズはペプシ・コーラのジョン・スカリーを社長としてAppleに迎える、そこからの10年ジョン・スカリーがAppleの舵を取る事になるが1992年頃から業績の大幅な低下を受け翌年1993年にCEOを退任する事になる。
1985年にApple創設者の一人スティーブ・ジョブズが自ら引き入れたジョン・スカリーの手によってAppleを解任される事になる。
この後スティーブ・ジョブズはNeXT Inc.(後のNeXT Softwareとなる会社)を設立しここで将来Mac OSXの前身となるOPENSTEPを開発して行く事になる。
ここから1997年にスティーブ・ジョブズが復帰するまでの約12年間
Appleは迷走する事になる。
1991年AppleはMac最初の32ビットOS System7を世に送り出した。
Mac Plusまでの初期のMacは16ビットのCPUを採用していた為1987年登場のMac II以降32ビットCPUの採用が始まったものの、System 7になるまでOSは16ビット仕様のままとなった。
しかし、System 7以降はハードの仕様にあわせて徐々に搭載可能メモリ容量が増し、最終的にMac OS 9では1.5GBまで扱えるようになった。
1997年Mac OS8が世に送り出される。
Mac OS 8は安定性や互換性の問題が少なかったこともあり、久々の新Mac OSの登場を待ち望んでいたユーザに非常に喜ばれた。
時は前後するが1994年にギルバート・アメリオをApple再建の為CEOとして迎え入れた。
財政的な危機などの当面の危機をなんとか乗り越えたアメリオが次に取りかかったのがAppleの存続に関わる次世代OSだった。
Appleが次世代OSとして開発を進めていたCoplandは搭載予定とされていた機能や解決しなければならない問題も増え続ける一方だった。
それでもCoplandはAppleが社運をかけたプロジェクトでありもはや引き返す事の出来ない状況になりつつあった。
Coplandが完成しなければAppleはいずれ消え行く存在となってしまうのは誰の目からも明らかだった。
さらにCoplandの開発にはOSの根本となるカーネル部分が完成していなかった事も事態を圧迫していた要因の一つだった。
そしてアメリオはここで大きな決心をする。
それはCoplandのカーネルの自社開発を諦めて他社から購入すると言う決断だった。
この際に候補に挙がっていたのがSun MicrosystemsのUNIX系OS SolarisやMicrosoftのWindows NT、Be社のBeOS、NeXT SoftwareのOPENSTEPだった。(この話は結構有名な話ですね)
この中で最終的に候補に残ったのはジャン・ルイ・ガセー率いるBe社のBeOSとスティーブ・ジョブズ率いるNeXT SoftwareのOPENSTEPの2社だった。
結果として1996年Appleは自分達で一度退任に追いやったジョブズ率いるNeXT Softwareを買収すると言う選択をした。
そして1997年スティーブ・ジョブズがAppleに復帰となる。
それから3年後の2000年AppleはMac OS X Public Beta (Siam) の販売を開始した。
さてさて今日はこの辺で、次回はMac OSXのバージョンとそれに伴うお話をしていこうかと思います。
こんなマニアな話も良いもんでしょ。




